にわかには信じ難いかもしれないけど、今日は早起きしてみた(`・ω・´)
こんな時間に書いてても説得力無いけど、今日は早起きしてみた(´・ω・`)
もはや全面的に信用されてないけど、戯言抜きで早起きしてみた('A`)

つーか昨日の夜中に、しこたま飲んだ余り物の酒で気持ち悪くて起きた……



ところで、「早起きは三文の得」というコトワザがあるのは周知のことだが――
この三文、今のお金にすると60円だそうだ。

たった60円かよ……とお思いのアナタ。
バカにしちゃあいけない。

一ヶ月で1800円!
一年で2190円!!
八十年生きたとして1752000円!!!
銀行の金利なんて眼じゃないですよセンセー。

仮にうまい棒で換算してみると――
一生で175200本も食えちゃいます。

実際の大きさで例えるなら、二畳半の部屋が満杯になります。

ハッハッハどんだけ太らせる気だい?
一月180本食べるだけでも大変だよセニョール。



ところでのこコトワザ、なぜ三文なのか疑問に思ったことはないだろうか。
ボクが昔に読んだ本の中ではこんな話が書かれていた。


昔の奈良では鹿が愛重されていて、家の前で死んでいると三文の罰金が課せられていた。
つまり――
『朝早く起きる→家の前で鹿の死体発見→他所に移動→罰金無しでお得』
というものらしい。

現代風に例えるなら――
『朝早く起きる→その前に早起きしようと考える→早起きするには夜早く寝る必要がある→という事で夜早く寝る→光熱費が節約』
みたいな流れだろう。

ありがたいやらありがたくないやら……

まぁボク的に言えば60円やるからもう少し寝かせろ。




早起きついでにテレビを見ていたら、ファック自○党の新鋭にして対ニート秘密兵器の彼が、初めて質問の場に立っていた。

彼は就職活動で必ずブチあたる《新卒採用》という言葉が気に入らないらしい。
その言葉が就職浪人に無形で悲痛な無知を打つと、彼の実体験を交えて熱弁していた。

しかし、これは大きな矛盾を孕んでいるのではないか、とボクは思う。
「僕たちを試しに使ってみてください。意外と僕たちは使えます」
この言葉にボクはどうしても斜に構えてしまう。

現代社会において《新卒》という言葉はある種の免罪符染みた意味を持つ。
つまりは真っ当に人生を謳歌してきた証といっていい。
いつの時代も社会が、否、そこに従事する人間―大小にかかわらず権力を有するもの―が求めるものは安寧とした自己の立場、つまりは保身と安定だ。

ボクは別段、僻んでいるわけではない。
大学を中退したといっても、それは自身が望んだことなのだからね。
むしろ、のらりくらりと流落の極みにあるボクだからこその言葉だ。

閑話休題。
社会といってもそれを形成するのが個人である以上、求められるは集団を維持していくのに必要な堅牢さ、堅実さだ。
この際、個人の資質は二の次といってもいい。

そこにきて「試しに」などという体たらくは通用しない。
そんな甘言が通用するほど現代はアングラではないし、ましてやセンシティブではない。


学問の門であるはずの、そうあるべきはずの大学は形骸化し、社会的立場を確立すためのステップに成り下がった。

旧社会の血族神格化よろしく、企業は往々にして卒業大学名で個人を見る。


ボクはこういった社会体制が正しいとは思わない。
全ての新卒生がまともなどという話はありえないし、逆に原石だってそこいらじゅうに埋まっているはずだ。

けれど、集団意識の中に浸透したラジカル・センシスはそうそう変革をなしうるものではない。
根源的に良くも悪くも民主主義なのだろう。

また個人にしても、高卒だから就職浪人だからと消極的になっているように思える。
苦言を呈するならば甘えている節がある。

未来は掴み取るものではない――
奪い取るものだ。


「未来を予知すること、現代を直接体験すること、過去を間接体験すること、この三者はいずれも尋常ならざるスリルをともなっている。喜びに満ちたスリル、恐怖に満ちたスリル、そして怒りに満ちたスリル。最後のものがおそらく最大であろう。これを後悔と言い換える人も多いようである……」
E・J・マッケンジー