2005年06月

人工知能生命体について

前回の続きだけど今回は真面目に書こうと思う


そもそも人間の心とはどういうものなのか。フロイト的に分類するならば意識と無意識になる。いやいや、そもそもそんな分類が必要なのだろうか。
前回述べた心は脳の物理的な活動の範疇について言えば、たぶんコレが正解なのだろう。脳内で行われる、シナプスとニューロンの電離的反応でしかないのだろう。
では人間とはなんなのか。甲殻機動隊の言葉を借りるのなら、それは個性と多様性を内包した集積体となる。現代の科学において、未だ生命という属性は定義づけることができないでいるのが現状だ
ならば、もしそれを機械が行えるとすれば、ここに人間と機械の境界はあるのだろうか、否、両者を同一と考えて何か不都合が生じるのだろうか。
アメリカの有名な科学雑誌『ネイチャー』によると、人間の精神回路を物理化することは既に常識になっている。外見上も内面的にも人間と変わらない人工生命対の生産はすでに実用範囲で完成していて、残るはコストの折り合いだけらしい。
こうなってくると、ますます人間と機械の境界は薄れてくる。むしろ模造品でありがゆえに、実物よりも実態があり、本物よりも本物らしくなる。なぜなら、「こうだろうな」「こうだったらいいな」という完成品としての人間をモチーフにしている分、そこには人間にある劣悪な構造分子が初めから視野に入っていない

さて、これをお読みになられる方々はおそらくここで、「なら人間の尊厳はどうなるのだ」と疑問に思うだろう。だが、人間と等価値の人工生命体が存在することで、何か不都合があるのだろうか。それは何か悪いことなのだろうか。
生命を生み出すのは神様の特権とまで言われ、倫理的観念から忌避されてきた生命の人工的生産。いったい誰がこれを禁止したのだろうか。いったい誰がこの行為を否定できるのだろうか。有機物を無機物で表現する行為は賞賛されるものであって卑下されるべきものではない。
そもそも、家畜を有利的に改造することとどこが違うと言うのか。豚に改造された猪は人間に寄生することで、一生命体としての価値を向上させ、そのシェアを飛躍的に伸ばした。これは進化といっても過言ではない。
生きるための糧、好きなことができる環境、死ぬことに脅えることのない寝床。我々が力を求めるにあたって「それは本当に必要なのか」と振り返るべきことはいくつもある。ならば、三度顧みるべきだろう。自分たちの醜悪な構造原理を――
ボクは別にメールの相手が機械であろうと嫌がりはしない。大好きな小説の作者が無機物でも読むことをやめない。ボクは困らない、むしろ歓迎するだろう。だって相手は機械的であっても誰よりも人間的なのだから

対人関係におけるコミュニケーションの原点は、「自分が相手と同様の考えをもつ」というところから始まる。それはまるで、鏡に映った自分に話しかけるようでもある。
そういった揶揄的表現を用いることを是とするなら、むしろこの状況は望むべきものではないのだろうか。誰しも、鏡に映った自分をより美しいものにしようと自分を飾り立て、磨き上げ、研ぎ澄まし、鋭敏にし、ワイズに、クールに、キュートに、ビューティフルにしようと尽力してやまない。だが、もしもそこに、あらかじめ用意された〝完璧〟が映っているとしたら、何者にも変えがたい〝超絶〟が用意されているとしたら、誰も敵わない〝最強〟がいるとしたら、果たして他人が必要だろうか。ましてや自分は必要だろうか。

機械より下等な人間が、人間より人間らしい人工生命体とコミュニケーションをする。水面に映った月を掴もうとする猿は溺れるしかなく、鏡に映った完全な自分と会話する人間はやっぱり死ぬしかない。どこか滑稽で、それでいて艶美で、ネクロフィリア的なおぞましさすらある。
それでもボクは、ボクじゃないボクが欲しいと思う。ロットな言語しか生み出さないこのトラッシーな脳味噌を完膚なきまでに再現した、清漣な表現に組み替えた、ボクだけのカイゼルを切に望む。

なんともサイコでロジカルで、とびっきりチープな話だろうか。
猿もびっくりな戯言。

脳と心

さっき何とは無しにテレビを回してたら、「オズの魔法使い」がやっていた

実はボク、この歳になって初めてみた。ガキんちょの頃に絵本が家にあったことはあったが、一度も読んだ記憶はない

ボクの中ではオズが主人公だったけど、どうやら違うらしい……
「そうか主人公はドロシーなのか。ならコイツがオズを仲間と一緒に倒すのか」
――とか思ってたらこれまた検討外れな邪推だった


今更になって説明するまでもないが、一応あらすじを書いときます

いわゆるパラレルワールドに召喚されたドロシーが、仲間と一緒にオズを訪ね、それぞれ願い事を叶えてもらうお話。
ドロシーは《もとの世界》に、ライオンは《勇気》を、案山子は《脳》を、ロボットは《心》を――――


この歳になってこんなファンシーなものを見てしまうと、やたら濃い色眼鏡でしか感想が言えないのだが…………まぁ一つ

物語の中で―時代背景的に仕様が無いところだが―〝脳〟と〝心〟が別物で扱われてる辺りがファンタジーだと思った

かなり昔の話だが、イギリスの有名な科学雑誌『サイエンス』の中で、とあるマッドでクレヴァーな生物学者が「人間は全ての行動を脳に支配された生き物である。だから方法はどうであれ、脳があれば人間としての〝形態〟は維持できる」といったようなことを仰っていた

ようするに、行動原理の中枢が脳にあるわけだから、心という非物理的な概念は概念でしかない――という意味だったと思う

これはこれで正論だなぁとは思う。確かに方法的な問題とかいろいろ障害はあるけど、ぶっちゃけテレパシーとかで、ダイレクトに意志の伝達が可能ならば体はいらないかも

例に三大欲求とあげてみよう

まずは食欲
実は、栄養素の経口摂取というのはあまり効率が良くない。それは各種酵素による分解の過程で、どうしても100%摂取というものができないかららしい。
つまり、必要な栄養素を必要な量だけダイレクトに摂取できれば、それに越したことはないってことだ
これによって空腹感が生まれず、必然的に食欲も解消される

次に睡眠欲
そもそも睡眠欲は、肉体及び脳が休息を求める生理現象である
よって、脳の指示によって活動する肉体がなければ起こり得ないものだ

最後に性欲
これはごく簡単な話。〝性欲の対象であるパーツ〟がなければ欲求として起こらないのだ。つまりは肉体である。よって脳だけの活動において、性欲は存在しない

最大の難点は子孫
だけどこれは、完成された一生物としての人間という前提で考えているから、ここでは問題視しないことにする


自分で書いててなんだけど、極論極まりないなぁ……
でも間違ってはいない気がする。自信はないけどね

まぁ戯言だし


でもやっぱあれだ

そんなの全然魅力的じゃないや

ボクは別に、生物としての人間の未来に憂いを感じるほど真人間じゃないし、そこまで生真面目に生きてはいけない

目にも鮮やかな食事に舌鼓を打ちたい
二度寝の快感に人知れず酔いしれたい
すらりとした足に、豊満な乳に、タイトなスカートに包まれる尻に、くくった髪の隙間から見えるうなじに、そして女子高生に萌えたい


嗚呼……ダメだ
最後の一文のせいで結局戯言だ

あまりに悔しかったから・・・・・・

図らずも文章に起こさずにはいられませんでした


事の発端はおやつ時に来た知人Yからのメッセ――
いきさつかはハショるけど、訳あって携帯を木っ端微塵にしたらしく、新規で新調したためその報告をとのこと
そして他愛のない会話を挟みつつ、互いの近況を話し合った……


ここからが本題
以下、メールの内容を本文そのままに抜粋します


Y「そういえばオマエ、免許取るだの取らないだのふかしてるらしいね」

黒「ふかすとは聞き捨てならねぇな('A`)」

Y「いやだってほら……」

黒「(´・ω・`)?」

Y「発破技師免許なんて普通とらないだろ」

黒「∑(‾□‾:)!!!」

Y「前々からリスキーなヤツなのは知ってるけど さすがにやめとけ」

黒「その免許を取ったら真っ先に貴様の家を爆破してやる」

Y「なおさら止めてくださいm(_ _)m」

黒「('A`)q」

Y「じゃあアレか? ひな鑑定別士免許」

黒「貴様のテンパーヒヨコヘッドも久しく見とらんなぁ」

Y「もうキンパじゃないやい('A`)」

黒「(#‾д‾)y-~~~」

Y「まさかとは思うけど……国際ドミノ連盟第一級免許か!?」

黒「大概にせぇよクソ蟲が」

Y「あ、あんまりだ_|‾|○_」

黒「('A`)凸」

Y「バーカチクショウ!!!! オマエなんかどうせペダルに足とどかねーよヘヘーンだ!」

≪相手がオフラインなためメッセージが届きません≫




……

………

…………

……………

………………



_|\○_

狂人の器について

人間というモノは意外と容易く壊れる。ほんの僅かに立ち位置を違えただげで、それまで遠くから眺めるしかなかった、否、眺めることで遠ざけていたものが、一瞬にして我が身をとりまく日常へと変わる。まるで季節のように――
例えばそれは環境であり、場所であり、視野であり、感情であり、感覚であり、信念であり、希望であり、他人への期待であり、つまりは世界そのものだ

ただ時として、他人からは異界としか思えない変化に富んだ日常を、いつもと変わらない今日として受け入れられる者がいる。心に投げ込まれた石を、自分を中心に広がる波紋として捉え、昨日と変わらない日々を過ごす――
例えばそれは敵意であり、殺意であり、劣等感であり、差別であり、区別であり、孤独であり、欲望であり、裏切られた何かであり、つまり世界そのものだ

狂気に触れたとき、人は容易く壊れる。だが壊れない人もいる。狂う人も狂わない人もいる。
これらの〝異常〟と〝正常〟を分つ境界線は、案外簡潔で、意外と以外で、存外存在しなかったりする。強いて言うならそれは彼らに内在する器だろう。可能性と言い換えてもいい
人間が異界と遭遇したとき、自分が持ちうる限りの常識と、思想と、想像力で立ち向かおうとする。だがそれは、常識に囚われるがゆえに呑まれ、感覚に根付く思想であるがゆえにもがれ、及ばない想像力であるがゆえに認められず、認められないがゆえに受け入れられず、受け入れられないがゆえに、器が壊れる・・・・・・


人を人と思わないままに人として殺せるヒトは最早〝化物〟と呼んで差し支えない。だが実は、両者はカードの表と裏のような危うく近しい関係でしかない

狂気を垣間見て器の壊れた人間 狂気を目の前に器の壊れていた人間


カードの裏の模様を見ようとしたクィーンは、必然的にその身をカードもろとも捻じ曲げらなければならない
怪異に触れて運よく器を保てた人でも、結局はそのちっぽけな器では世界を受け入れきれない
そして器を持たないヒトは、誰かを受け入れる器も、世界に思いを馳せる心もないのだから――――
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